【後悔しないために】自分の人生を思い通りにしたいなら 選択力を磨くべき

人生って何回か重要な選択に迫られるときありますよね。

特に受験、就職、結婚相手が大きなポイントです
また、小さな選択肢だと部活やゼミの選択などもあります。
若い頃だからあまり深く考えて選んでないですけど、意外とその後の人生に大きく影響を与えています。

いまになって人生を振り返ると「間違った選択をしたかな」って、思うところがいくつかあります。
今更後悔してもしょうがないけど、当時の自分の傲慢さと知識のなさ考えの浅さを実感出来きます。

ひとつは、中学受験したことです。
これは、親の勧めでしたことだからしょうがないですが、もともと母子家庭で裕福とは言えない家庭です。

小学校の頃、1学年60人程度しかいなかったとはいえ、成績は優秀な方でした。
周りにおだてられ、親も自分も勘違いしてか、私立の中学を受験してしまいました。

そのころは、バブルの頃で母の収入も増える可能性があったようす。

また、母が地元の中学校に僕を行かせたくなかったのは、その学校が荒れていたという理由もあります。

そんなわけで中学受験をしたら、みごと合格しました。

しかし、私立中学入学後バブルは弾けました。
おそらく収入は減って、家庭の財政を圧迫していただろうと思います。

けれども母は、僕に心配させまいと何も話しませんでした。
そして私立中学入学直後、母は突然倒れ入院しました。

原因はよく覚えていないが過労のせいでしょう。
一週間ほどで退院できましたが、あの頃の母の苦しさは自分はまったく分かっていませんでした。
さらにその翌年の1月、今度は私自身が入院することになりました。

全治六ヶ月の怪我で一ヶ月の入院です。
自分は学校もいかず悠悠自適の入院生活を楽しんでいましたが、家庭の財政を苦しめていたのは間違えないです。

また私立に入って、小学校時代井の中の蛙だったことに気づきました。
私立中学に入ると周りが秀才ばかりで、自分はまったく冴えない学生生活でした。

中一で入った部活も早々に行かなくなり幽霊部員となります。
それでも母は、筆者の才能を絵に見出し中二になってから絵画教室に通わせてくれました。
僕のアイデンティティを支えていたのはそれだけでしょう。

とはいえ、絵画の世界でのし上がれるほどの才能を自分に感じてはいませんでした。
いま思い起こしても、中学時代にいい思い出は少ないです。

特別いじめにあったということでもないし、不良にもなりませんでした。
真面目でもなく、目立つわけでもなく、つまらない人間だと思われていたでしょう。
成績もまた普通。

あのころなんとか友達でいてくれた数人には感謝しています。
いま思い起こしても、中学時代は闇の3年間です。

一生懸命働いて学費を払い続けた母に本当に申し訳ないと思います。

ただ、中学受験をしたおかげで、市立中学に通う人たちが通る高校受験は免除されました。
いわゆるエスカレーターというやつです。
高校入学後は、中学時代から一転明るい学生生活にかわりました。

それは、演劇部に入ったからです。
演劇部を選択したのは、自分の人生でも正しい選択でした。
演劇部では、主に舞台美術を担当しました。(大道具さんです)
これが建築に興味を持つきっかけにもなりました。

演劇部では、情熱的で充実した学生生活を送ることが出来ました。
演劇部で感じたのは、モノづくりが自分の魂を熱くするする、ということでした。
考えれば、学生時代から現在までずっとモノづくりに関っています。

大学受験は建築学科のある大学を何校か受けました。
東京芸大、都立大、早稲田、関西大、明治、そして法政。
今回は選択の余地はありませんでした。
引っ掛かったのが法政だけだったからです。

浪人という道もありましたが、親が望まなかったので入学することにしました。
当時、自分自身働いてもいいとも思っていました。
しかし、今思えば、相変わらず苦しい思いをしながらも入学させてくれた親には感謝しています。
海外にでれば、大学の優劣にかかわらず、大学出身ということが重視されます。
おかげで、労働ビザも問題なく取得できました。

しかし法政は私立で、しかも工学部なので相当のお金がかかりました。
母は、お金の工面にかなり苦労したようです。
学費として国から借りたお金を、いまも返し続けています。

大学入って一番感じたのは、僕と周りの貧富の差です。
まわりはおぼっちゃまばかりでした。
僕は、生活費と模型などの制作費のためにバイトに明け暮れました。
毎月10万ちかくの収入を得ていましたが、全然余裕がなかったです。
まわりは、親から生活費をもらいバイトをちょっとして遊びに使っていました。正直羨ましかったです。

学生時代の失敗はゼミ選びでしょうか。
まあ、これも自分の傲慢さが招いたものだから仕方ないです。
あの頃は傲慢になって、なんとかうまくいくだろうと思い込んでいました。
気づいたら、卒業式を控えているのに就職先が決まっていなかったのです。大学卒業後はバイトしながら就職活動を続けました。

すると、なんとか5月中に3つの内定が決まりました。

①コスメ什器の設計
②商業施設の設計施工
③建築の設計事務所

いま思うと、この時の選択で道を間違えています。なんで建築の設計事務所に行かなかったのでしょうか。

③を選んでいれば、今頃1級か2級建築士の資格を取って、さらにステップアップができていたかもしれません。

選択したのは②番

理由は、店舗デザインがしたかったからです。
しかし、入ってみるとデザインとは名ばかりで、実際には施工管理の仕事ばかりやらされました。
休みも少なく、もちろん残業代も出ない中、社長に罵られ脅されて、嫌々働いていました。
まさにブラック企業でした。
そして、逃げるようにドイツに飛び出したのが、3年前の29歳です。

いま他の国にいることを考えると、ドイツに行ったのが正しいかどうかわかりません。

でも、会社を辞めて海外に飛び出したのは正しい選択だったと思います。
今の会社もいろいろ問題はありますが、以前より充実した仕事と生活が出来ています。

少なくとも日本で働いて頃、自分は腐っていました。
腐りはてて、ネトゲにはまったこともありました。
キャバクラにはまったこともありました。
いまは、なんとか前向きに人生を考えられるようになっています

時々、あの時こうしていたらどうなっていただろうとか考えます。

でも、よくよく考えると自分で選択してたわけでもない気がします。
20代までは周りのいうことに影響されていたからです。
最近は、ようやく自分らしく生きられるようになったのかもしれません。

いまの生活があるのは、結局違う道にいかなかったから。
建築の設計事務所に進んでいたら、建築士をとれてもお金がなくてヒーヒーいいながら生活していたかもしれない。

どの道に進もうが、大事なのは自分がどうしたいかってことです。

人生でいくつかある大事な選択。
ここで正しい選択をできるかどうかは、日々の行いと思考の積み重ねにあります。何も考えていなければ、まわりの期待する通りや環境に流されて選択をしてしまいます。
しかしいくら環境に流されたといっても選択したのは自分です。過去に自分で選択してきた人生に対しては、自分で責任を取るしかないのです。それを、他人や環境にせいにしていては前に進めません。
だから、間違えた選択をしないように知識と教養を蓄えて選択力をつける必要があるのです。

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